2014年6月29日日曜日

六十四投目 ならまち散策記



久しぶりの日曜日お休みで、六歳の娘と初の二人旅で奈良にやってきました。小学校の修学旅行以来、二十三年ぶりの東大寺です。

曇ってますが、暑くなくて丁度よい。

緑が目に眩しく美しい。
お母さん鹿が子供のおしりを舐めてあげてます。かわいい。
とにかくそのへん鹿だらけです。
穏やかな鹿たちですが、鹿せんべいをやろうとすると豹変‼︎
突然凶暴化して襲ってきます。
恐いのでせんべい放り投げになってしまう。
南大門の仁王さんは88カ所の寺と違い、大迫力!でかい‼︎
さすがウンケーだかカイケーだかの作ですな、、
お昼の食事、茶粥、ローストビーフ
、コロッケ、プリンとヨーグルトを足して二で割ったようなもの。漬物、卵焼きなど。娘は天ぷら盛り合わせ。かぼちゃの天ぷらたべれました。
食事の後は人力車でならまちへ。
人力車の兄ちゃんは過酷なノルマを架されているのか、必死で中学校の修学旅行生に営業をかけていましたが、修学旅行生は人力車なんか乗りません。
だって若いんだもの。歩くよ。
でもなんとなく不器用な感じに好感持ちました。
興福寺の前にあります、猿沢池。
魚が七割水が三割と言うそうで、恐ろしい程の数の鯉と亀がいます。
ほとりで鳩に餌をやると、手首に鳩がとまってきました。

ならまちでは蚊帳の生地で作ったのれんを買いました。今回、これが目的の一つ。丈夫で味があります。
町屋を改造したカフェでかき氷を食べ娘は中庭で遊ばせてもらいました。
ダンゴムシやきれいな青い蝶を見つけて大喜び。ゆったり流れる時間の中で、娘が笑っているのを見てると、幸せを噛み締めている自分に気づきます。
かき氷にはスプーン置きとして、折り紙の鶴が一匹づつついていました。
さりげない心遣いが嬉しい。

そしてならまちの人たちは皆さん穏やかで優しい人たちでした。

最後は娘のリクエストでもう一度鹿たちと触れあって帰途につきました。
短い時間でしたが、奈良が好きになりました。今度は奥さんと息子も一緒で、飛鳥の方まで行ってみたい。
あき書。











2014年6月25日水曜日

六十三投目 一回休み 豊作ですよの巻


今朝久しぶりに野菜を収穫してみると、大きな茄子が三本、胡瓜が二本、ピーマン三個、オクラ一本、大葉十枚ほどが採れました。豊作です!

今晩は野菜の天ぷらにしま〜す。
あき書。

2014年6月22日日曜日

六十二投目 自立と共生の間②

前回の続き「障害者の親である私たち」という本の感想です。
ーお年寄りの世話や孫の世話、地区のゴミ当番やPTA活動、それに親の会。私たちが暮らすには誰かが担わなければならない無償の行為があります。障害がある子がいることで働かない、あるいは働けないでいると、いつの間にかそれらの行為を手に余る程担うことになります。ー
ー働くということも誰かの無償の行為に依存しているという事もあるのではないでしょうか。ー
ーけれども「遊んでいる」と言われる私たちが引き受けてきた無償の行為も、「働く」ことと同じくらい価値があることだと思いたい。ただ社会はさっそうと働く人を応援します。ーP50無償の行為より

働きたくても働けない人がいる。また一方で働けるのに働かない人もいる。
これは何故でしょうか? 

また無償で人につくす事は昔は称賛されていたはずです。私たちは気づかないうちに人の行為を経 済活動であるか否かで判断するようになっていないでしょうか?

数年前、民主党政権の時代に福祉を成長産業にする!と息巻いていた首相がいましたが、この時大変な違和感を持ったのを覚えています。
彼はいったい福祉という言葉の意味を知っていたのでしょうか?
福祉とはしあわせ、ゆたかさを意味し、全ての国民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指し、前述の日本国憲法第25条生存権ー全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。ーに保障されているはずです。
つまり福祉とは国のインフラストラクチャーの一環であり、道路を整備したり、図書館を作ったり、義務教育制度をしいたり、予防接種を実施したり、過疎の地域に補助金を渡したりするのと同じく、国民の安心な生活の基盤として敷くものであり、そのような高度な安心の上でこそ、一人一人の経済活動がなりたつのです。
福祉はその成り立ちの性質上、お金の話のみに限れば必ず赤字になって当たり前というより、採算性を導入すれば福祉の理念が崩壊してしまうのです。

にも関わらず、この首相は福祉を成長産業とする。と言う。
福祉は産業ではあり得ません。

国家が行う福祉の上に全額実費負担でも最高のレベルの福祉的サービスを受けたい。とお金持ちが思うのは勝手です。また私たちは最高のサービスを提供する代わり、実費負担で高額サービスを売ろうと業者が考えるのも別にいいと思います。
ただ、それとは別に国が行う福祉は絶対に採算性で考えてはいけないのです。それを成長産業になんて話はようするに国が国民の最低限の生活に責任を負わず、貧乏な人は福祉サービスは受けられなくなる。と言っているのと同じことです。
資本主義が行き過ぎた社会では、お金で人の行為を換算できると考える人が多数出てきます。しかし冒頭で紹介したこの本の一文のように実際には無償で賞賛される行為は極めて言葉本来の意味で福祉的であると思うのです。
③に続く。あき書。






2014年6月14日土曜日

六十一投目 自立と共生の間①

今までこのブログでは主題から離れてしまう為、現在の我々の仕事については書いてきませんでしたが、今回是非紹介したい本があり、チョット本職の方の課題や親としての気持ちも書いてみたいと思います。


今現在あきゆきは障害福祉のお仕事をさせて頂いています。行動援護と移動支援というサービスで、障害のある方(主に知的障害、自閉症のお客様が多いです。)の外出、余暇活動、日常生活のお手伝いをさせて頂くお仕事です。

そしてうちの十五歳の長男も自閉症です。今までこのブログに登場していないのは、彼は大のアウトドア嫌いだからです

ここで紹介させて頂きたい一冊の本、「障害のある子の親である私たち」というタイトルです。

著者である福井公子さんは、徳島県西部阿波市手をつなぐ育成会の会長さんです。
月一回障害のある子を持つ親のためのお喋り会を主催されており、あきゆきもつい先日参加させて頂き、楽しい時間を過ごすことができました。
障害そのものの分析や教育方法を書いた本はいくらでもあります。
ですがこの本は恐らく唯一の障害を持つ子を持つ親を主役とした本なのです。

この本の中には、王様は裸ダ!と指摘する場面が沢山でてきます。

ー一人では生きていけないから、社会の役に立たないからとして親が子どもを殺すことを称賛されるなら、「親亡き後」とはいったい何なのでしょうか。それはそのような子どもを産んだ親が自己責任をとれということと、どこが違うのでしょうか。
不治の病に犯された父親が障害のある子を自分の死後の不憫さから殺すというストーリーの映画、またそれに感動したというレビューに著者は違和感を覚えます。

ー一方で私は、同じ立場である親たちにもいらだちを募らせていました。そのような社会の眼差しに何の反応もしない。感じることも考えることも、そして抗議することも忘れたかのように私には見えたから。ーまえがきより。
著者は世間が求める障害者、その家族へのイメージに反発します。
そして、いつの間にか当たり前になってしまった自己責任という言葉。
小泉政権の頃から流行り出したこの言葉に、僕は最初からうさんくささを感じていました。自己責任を追求すれば当然最終、弱肉強食になるしかなく、
つまりアナーキーな世界が想定されますが、日本は憲法を持つ法治国家ではないのでしょうか?憲法第25条には生存権が示されています。本来まともな国というのは弱いものにこそ杖を与え
、強いものには規制をかけなくてはいけない。
福祉の世界では自立支援という言葉が大流行りですが、福祉に関わっている誰もがうすうす気づいているように、
これは経費削減のていの良い言い換え
言葉でしかない。

そもそも自立という言葉自体多くの人は真剣に考えた事がないと思うのです。それが経済的自立なのか?精神的自立なのか?資本主義の行き過ぎた現在では、ほとんどの場合、経済的自立しか問題にされません。しかし、経済的自立がもっとも難しいのが知的障害を持つ人達なのです。果たして経済的自立を勝ちとれない人またはその親は敗者なのでしょうか?
 
では翻って精神的自立はどうでしょう?

ー「しおらしい」「かわいらしい」。
それが嫁さんに対しての最大のほめ言葉であり、その反対に嫌われるのが「かしこすぎる」ことであることを、私は朝なら夕なに聞くともなく聞こえるお年寄りたちの茶飲み話しから感じていました。ーp38しおらしいより。

精神的に自立する事の第一歩は考えるという行為です。人として考えれば当然、その次はそれを言葉にし、さらに文章に綴ろうとします。

しかし、日本の田舎の共同体の中では実は考えること、自覚すること、そして精神の独立自尊を達成しようとする事は必ずしも歓迎されない事なのかもしれない。僕は共同体が復活して欲しい。しかしそこには越えなければいけない壁があるのも事実だと思うのです。
もっぱら現代日本社会で問題にされるのは経済的自立のみであり、もっというと働いてなくとも、物を消費できれば、大人であるとの風潮もある。

そんなに自己責任と経済的に自立することを大事にする国なのになぜ60万人ものニートを産み出してしまったのでしょうか?
あき書。②に続く。




2014年6月10日火曜日

六十投目 おめでとうパルちゃん‼︎の巻

ウコッケイのパルちゃんが、ついに、ついにやってくれました❗️

ジャジャーン‼︎

タマゴを、産んだのです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

以前はウッドデッキの下ばかりに居ようとしがちでしたが、最近はすっかり人慣れしてどんどん行動範囲が広がっているパルちゃん。

羽ばたいてウッドデッキの上に上がってきたり、食欲も旺盛になってきていました。

旦那さんが言うには、産む直前のパルちゃんはだいぶ様子がおかしかったんですって。急に走り出したり、すご〜く食べたり。

先日、養鶏場の主人に話を聴く機会があって、エサに米や鰹節を混ぜると良いというアドバイスを頂き実行してまだ10日ほど。

4月にホームセンターのペットコーナーで出逢ったパルちゃん。
「生後1年経ってるけどまだタマゴを産んでいません」ってお店の人が話してたけど、狭いケージの中から我が家へ来て、まさかこんなに早くタマゴを産むなんて、、、感動で感動で、、、(≧∇≦)‼︎

何の効果か、何が良かったのかはわかりません。

でも傲慢な私たちは、私たちの愛情が一番のそれであってほしいと願うのです、、、(o^^o)。

パルちゃん、すごいね。感動をありがとう。

ゆき書。



2014年6月3日火曜日

五十九投目 さらに収穫の巻

徳島県は今日から梅雨入りという事で
まだ早いかな?と思いつつも残り4株のジャガイモも収穫しました。

今回は四株で二十八個のじゃがいもが採れ、10センチ以上のいもが6〜7個といった感じでそこそこ豊作です。
ただ、まだ小さなジャガイモが根にたくさんついていて、もう少し待ってたらもっとたくさん収穫できたかも、、

皮が薄くて指でこすっただけではがれます。
カレーにしました。食べかけ写真で申し訳ない。
ホクホクで大変美味です。
さらにもう一本のダイコンも収穫。
葉っぱがすごいσ^_^;

ウズラの卵でスコッチエッグもしました。美味しい毎日です。
あき書。

2014年6月1日日曜日

五十八投目 ボチボチ収穫の巻



ピーマンに花が咲き、小さな小さなピーマンが成りました。

最初の実は早めに摘果した方が良いということで収穫。

サラダに入れて生で食べましたが、味が濃く、苦い。


ジャガイモの葉が黄色くなり、プランターの苗が一株枯れました。

なので試しに一株を収穫。

五センチ大の小さい可愛いジャガイモ二つ。こふきいもにして食べました。
小さいけど味は濃密でうまい。



そしてダイコン。これは大きくなりました。種まきしてからやく40日ちょっとで随分育ちました。
ダイコンおろしは辛いけどまろやかさもあり美味。
ふろふき大根は甘さが出て、とろとろしていてやはり美味しかった。

さらにプランターのジャガイモを3個。
いずれも五センチ大でした。
畑の方にジャガイモがまだ四株残っているので大きくなるといいな。


パルちゃんの鶏糞パワーは偉大だ。
あき書。