2013年11月11日月曜日

十八投目 おの君が背負う悲しみと希望の巻

昨日は仕事で徳島市内水際公園で行われた繋がりフェスタというイベントに参加して来ました❗️このイベントは東日本大震災へのチャリティーイベントとして今年で三回目の開催だそうです。

はいばるシアターというバンドがはっぴいえんどの風を集めてや忌野清志郎の500マイルを演っていました。

天気予報では結構雨が降るという予報だったのですが、夕方まで良いお天気で暖かく、心地よい音楽を聴く事が出来ました。

会場のところどころにカンパ募金箱が置かれており、お茶を飲んだり、レンタルカヌーに乗ったりした時にもいくらか募金するというシステムになってました。手作り感が全体に出ており、大変柔らかくゆるい雰囲気です。

14時半から美波町在住の絵本作家さんの講演会があったのですが、奥様が東北の被災地出身の方であるらしく、奥様の地元に絵本の取材に行かれた時、柿の実が原発事故による放射性セシウムにおかされてしまい、実っても食べられない状態で高いところから見下ろした時に、無数の柿の実が取り残されているのを見て、いても立ってもいられない気持ちになったという話が一番胸に迫るものがありました。

この半年間いろいろアウトドアの活動をするなかで、ある種の希望のようなものが見えて来る気がしていました。

駅前の商店街のなじみの店が一軒ずつ潰れて行ったり、全てが大量生産の商品に取ってかわり、
子供達が遊ぶ場所も大きなショッピングセンターしか無くなっていくという現実に、ここ最近は本当に嫌気がさしていたのですが、自分達を育んでくれていた山河や海が無くなったわけでは無いと気づかされ、何もない所だと思っていた徳島が実は見方をかえるだけで、かけがえない豊穣な土地なのではないかということが、五感を通して自分の中に呼び覚まされて来たのです。

放射能におかされるとうことはそのかけがえのない故郷を奪われるという事です。

シャッター街になってしまった街並みなんかは極論すれば、政治のあり方や我々庶民の活動次第で再び活気づくことは充分考えられます。

しかし、一度放射能におかされてしまった土地は簡単には元に戻りません。

絵本作家さんの他の話で印象深かったのは、牟岐という徳島県南部の漁村に住んでいる方にインタビューしたとき、その方のお父さんもお祖父さんも、地震による津波で家を流されてしまったにもかかわらず、自分はずっとその土地に住み続けたいと言われていたそうです。地震大国である日本で住み続ける事は、いつどんな災害に遭うかわからないという事です。

それでもそこに住み続けることは先祖代々災害とどう付き合っていくかが課題で、それ自体がこの土地の伝統だからというのです。

すごく重い言葉だと思います。こういうのが本当の郷土愛というのだと感じ、感動しました。

都会に住んでいる人たちはどうか地方に住む人々のこういう気持ちを理解して欲しいと思います。

消費社会がいきすぎてしまい、最近は農産物も魚介類も国土さえも、金で買えばよいという風潮が蔓延しているような気がします。単に生存しているのでは無く、色々なものに生かされていてありがたいという感覚を取り戻さなければ、坂道を転げ落ちるように日本人は狂っていくのではないでしょうか?

この絵本作家さんは地震啓発のための「よりたかく よりはやく」という絵本を徳島県内の幼稚園や小学校に300冊無料配布しているそうです。販売はしてないそうなので読みたい方は徳島県のホームページからダウンロードして下さいとの事。


さて、この縫いぐるみはおのくんと言います(*^^*)

おのくんは宮城県東松島市小野駅前応急仮設住宅に住む被災者の皆さんが、元住んでいた奥松島の復興を願って全国から送られて来たいらない靴下と、主にダイソーの綿で作っている縫いぐるみです!


一個1000円で里親になる事ができます。1000円は義援金として被災地に送られます。
ネットでおのくんで検索するとすぐ出て来ます。
材料である綿や靴下を送る事も出来ます!

繋がりフェスタの屋台で残り2匹になっていた片方をゲットしました。
売れ残りではありますが、かわいいやつです。
皆さんも里親になってみませんかー?


日本人の相互扶助の伝統は恐らく縄文以来のものです。
たとえ国家が東北を切り捨てようとしても、私達庶民は絶対に東北の事を忘れたらダメです!!

あき書

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